すりずりについて

代表あいさつ

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものであり、自分の人生を自分で決めまた、周囲からも個人として尊重される社会すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要だと思います。
すりずりとは、沖縄の方言で集うとか、仲間などの意味があります。
私たちは、たとえ病気や障害で動けなくなっても、お互いに人間として尊厳を保ち、住み慣れた場所で、家族や友人、近所の人々共に、生きる意欲を持ち続けることができるようお手伝いをしたい・・・・こんな思いを同じくする仲間です。
安心して楽しく、元気で暮らせる社会を目指し、生活支援、研修、啓発などの活動を含め社会的責任と誇りを持って、より心のこもった援助活動に貢献したいと思います。


創業の3つの思い

1)母ちゃんとおばぁへの償い
私が中学2・3年生で母が53歳の頃
母の脊髄に良性腫瘍があり摘出手術を受けることになりました。摘出後、胸から下は自力では動くことができなく両腕は、力はないが何とか動けていました。
その頃から母は、生活のすべてを人の手を借りないと生きていけなくなってしまいました。
病気が完治して退院することになり、そこから家族介護の始まりです。
当時は介護という言葉はなく、保健師さんも充実していない時代でした。
施設入所の選択もあったと思いますが、そんな会話をしているところを見たことがなく家族で支えることを選択したのかもしれません。
それから母が亡くなる10年間は自宅で寝たきり状態の生活を送ることになりました。
10年間の内、数年間は生活基盤を浦添と本部の2か所で送っていました。
家族構成はよく覚えていませんが、両親と次女、三女は浦添で暮らし、私はおばぁと本部暮らしをしていたように思います。
母が寝たきりの状態になってからの数年間は地獄だったように思います。
両親二人で営んでいた肉屋が倒産。借金を抱えサラ金からの取り立て。
私は末っ子で、我が家の経済状態を知る由もなく普通に生活をしていました。
父はお金の苦しさから毎日お酒を飲んでは、暴言や暴力が激しくなっていました。
そんなある日、寝たきりの母と口論になり身動きが取れない母の顔を激しく殴り歯を数本折り、顔面は膨れ上がりうっ血状態になった。
恐怖のせいか、その時のことを思い出したくないのか?この場面の記憶があまりない。
ただ近くにいて耳をふさぎながら母の「くるせー(殺せ)くるせー」と叫んでいるのを聞いたように思います。

それから数年が経ち、三女の高校卒業を機に家族全員が本部で暮らすことになりました。
毎日お酒を飲んでは、暴言や暴力的になる父、寝たきりの母、こんな生活環境で家族と一緒に暮らすことが嫌でたまりませんでした。家を離れたいのと大学進学を希望していた私は公務員であった長女に相談。賛成してくれて学費も出すと言ってくれていたが、しばらくすると私の甘さを指摘し母の介護をするように言われた。それを聞いた私は、自分の夢がなくなるような思いと母に縛られたくない思いになった。特に母の下の世話をするのが何より嫌でたまらなく逃げる方法ばかりを考えていた。そんなことを考えていたら友人から仕事をしながら福祉系の短大に行けることを知り家族に内緒ですぐに受験をする。
以外にも簡単に合格する。すべての費用を会社が持ち私は岐阜県大垣市に行くことになった。
もちろん家族からは反対されたが、なぜか父だけは喜んでくれて、ほめてくれた。
私はそんなことはどうでもよく、とにかく母や家族から離れられることが嬉しかった。
何よりも介護をしなくてもいいことが本当に嬉しかった。
私は家族のことを全く考えることなく自分ことだけを優先にしてきた。
家族からは反対はされたものの末っ子であったせいか何でも許された。

短大に進学し3年が過ぎ卒業を前にまたあの問題(介護)が出てきた。
長女に「十分に好きなことをしたし福祉も学んだので母の介護をするように」と再度言われた。
それでも母の世話をしたくない私は、とんでもないことを考えつき実践してしまった。
それは、その頃お付き合いしていた人と結婚を決意し電話で家族に報告する。(若干19歳)
それを聞いた家族全員が猛反対。(おばぁだけが賛成してくれた。)
誰の言うことも聞かない私。勝手に籍を入れ結婚する。 結婚したことで完璧に母の介護から逃げることができた。結婚後は子宝に恵まれず4回の流産を繰り返し5回目の妊娠が分かったときには結婚生活も破綻した。1人で子供を育てることになる。働きながら子供を育て、初めて母親の気持ちが分かるようになった。
まして私が選んだ職業は介護。他人様のお世話をするようになり、これまで母に対しての自分の考え方や行動に気づかされ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
これから親孝行をしたいと思った時には、母も父もおばぁも、もういない。
この後悔をどんな形で償おうかと深く考えたとき、家族のような他人様の介護をすることで母に恩返しができるのではと思いました。また、育ての親のようなあばぁへの恩返しも含め創業しようと思いました。
2)最愛の娘、静葉を一人で育てるため
母子家庭になり1人で生活や子育てをしていくために、そして静葉の将来を考えたときに強い不安を覚えました。お金がなくては何もできない。
昼間の仕事で稼いで静葉との時間が取れる仕事。男性と同等の立場で、同等の給料がもらえることに執着していました。(その当時は男女雇用格差が著しい時代)
そのためには勉強し専門知識を高め資格を取得することが重要だと思っていました。
それまで勤めていた豊見城中央病院を一旦退職し介護福祉士の資格を取得するために学校に通いました。約1年間、仕事ができない状態になるため恐怖と不安でいっぱいになった。
そんな思いもあったが、無事、介護福祉士の資格を取得することができた。(28年前)
卒業後の就職先は豊見城中央病院。その当時、新事業である老人保健施設を建築中で運営基準である介護福祉士の配置が義務付けられていた。(当時の沖縄県は介護福祉士が45名)内7名を引き連れて再入職することになりました。
どういう理由だったか覚えていませんが、直ぐに役職がつき27歳で40名の部下を抱えることになりました。役職がついた時の思いは、幼い静葉にすごいお母さんと思ってほしかった。
母子家庭でも誇りを持てるのではないかと思った。それゆえに、がむしゃらに頑張った。
介護職としてトップの私が1番の高給取りだと思っていた数年間・・・・
3年ほどして男性職員から賃上げの交渉をしてきた。程なく交渉は成立。
男性職員だけが大幅に給料が上がった。理由を聞いたが、絶対に納得のいかない内容であった。
理由の中には「男性は世帯主だから」と言われた。私も世帯主であることを告げ、さらに私は一生結婚しない世帯主だとも伝えた。
能力に関係なく男だという理由だけで給料が上がるのは本当に理不尽だと心の底から思った。
頑張っている女性まして母子家庭の女性は一生、夢も持てず貧乏なのかと・・・
私は静葉に財産も残せない。静葉が進学を希望したときに、静葉の夢までも叶えることができないと思った。私が唯一残せるのは静葉が一人で生きられる力。それは学問や資格だと思っていた。
それさえも叶えられないと思ったら本当に悔しかった。
この悔しさから創業しようと思いました。
3)介護福祉士及び介護職の地位向上
介護福祉士法が制定されてすぐに資格を取得しました。
その当時は、介護福祉士の認知度が低く看護師の助手と誰もが思った時代でした。
介護は朝から晩まで重労働3K(きつい、汚い、給与が安い)、給料も最低賃金にほぼ同額の時代。介護福祉士として勤めた豊見城中央病院。私たち介護福祉士の扱いを真剣に考えてくれました。その時に、給与の交渉を直接させてもらいました。「どれくらの給与がほしいのか」とストレートに聞かれました。
金額は明確に伝えなかったが、資格から判断してほしいとお願いをした。
介護福祉士は国家免許、正看護師も国家免許、准看護師は知事免許である。
介護福祉士としてはまだまだ、実績を創ってないので正看護師と同等は望まない。
正看護師と准看護師の間だと思うと根拠を伝えた。
これから実績を創り貢献すると宣言した。
すると給与は大卒の初任給を獲得することができた。
その時の交渉に臨んだ理由として、もしここで低い給料を承諾していたら無資格者の33名の給与がもっと下がると思ったからである。
これから介護福祉士を目指す人たちが夢を見ることができないと思った。
満足いくような交渉ができたと喜んだのも、つかの間この交渉が近隣の施設事務長の耳に入り直接困るとも言われました。
それでも私の心は揺るがなかった。嫌われ者になったが後悔はない。
もう一つの課題が看護師との関係性である。介護福祉士や介護職の立場を理解することなく指導的な言動や態度で私たちに接していた。
これでは介護福祉士や介護職が自立、向上ができないと思った。
ここで介護福祉士の存在を理解してもらわないと社会的にも理解してもらえないと思いました。
だから創業することで存在の理解と地位向上をしていきたいと思った。

経営理念

人々の可能性と
幸せの追求に挑戦し続ける


【経営理念(Mission)の解説】

「ミッション(Mission)」はすりずりの使命を表し、すりずりが何のために
 この世に存在し企業活動を通じて世の中に何をもたらそうとするのかを、示す理念です。

すりずりが考える

【人 々】
社員とそのご家族 利用者様とそのご家族 近隣地域の方
浦添市民 沖縄県民 日本国民 全世界の人々
【可能性】
自分の思いを実現 潜在的な発展性
【幸 せ】
幸せは当たり前のようで当たり前ではないもの
身近にあるもの。日々感じていけるもの
【追 求】
実現するまで絶対にあきらめず追い求める
【挑 戦】
新しい自分や新しい事に立ち向かう

人はそれぞれ異なる人生観や価値観を持っています。すりずりは、人々に対して自分の人生観や価値観を 押し付けるのではなく、人々が大事にしている思いや感じていることを大切にし、心を通わせ供(従者として)に幸せの追求に全身全霊で挑戦し支えていくことを目指してまいります。

すりずりは、社員とそのご家族にとって人生を託すことのできる会社でありたいと考えています。
社員一人ひとりが仕事に対する誇りを持ち、一緒に働く仲間と共に成長できるよう、また将来に渡ってしっかりした生活設計ができるよう職場環境を整え、社員とご家族の幸せを追求してまいります。

すりずりの価値観(Value)

【価値観(Value)の解説】

「すりずりの価値観(Value)」ミッション達成のために、あらゆる活動において意思決定の基準となる基本的価値観を示す理念です。


■すりずりの可能性
すりずりにとって最も大切な存在は、ご利用者様(お客様)です。
すりずりの全ての活動は、ご利用者様(お客様)に喜んでいただき、満足していただくためです。
加齢や障害があったとしても私たちは夢や希望があります。
念じる心が大切です。夢や希望の実現を支えるのはすりずりです。
福祉活動の主役は人間です。すりずりには、その精神や事業内容に共感して集まったたくさんのパートナー(社員)がいます。
すりずりは、その一人ひとりがプロとしての仕事を通じて人間力を高め、誇りと自信を深めすりずりの主役として、輝いて活動できる組織を創っていきます。
なぜなら、パートナー(社員)が成長せずに、すりずり(会社)だけが成長することはありえないし、またすりずり(会社)が成長せずに、パートナー(社員)だけが成長することもあり得ないと考えるからです。
すりずりは、パートナー(社員)とすりずり(会社)がともに成長発展して成果を分かち合えるすりずりになります。
すりずりは、卓越した人材が続々と育つ、人材創出企業になります。
■すりずりの幸せ追及
すりずりは、毎日、ご利用者様(お客様)に、小さな幸せをいっぱい届けます。
すりずりは、毎日、パートナー(社員)に、小さな幸せをいっぱい届けます。
すりずりは、毎日、自分に関わる全ての人に、小さな幸せをいっぱい届けます。
なぜなら、届けた分だけ自分が幸せになるから。
■すりずりの挑戦
すりずりは、あきらめません。新しい素敵な自分に出会えるまでは!
すりずりは、あきらめません。新しいワクワクに出会えるまでは!
すりずりは、絶対にあきらめることなく必ずやり遂げます。やり続けます。
■すりずりの正しさへのこだわり
すりずりは、経営の在り方、パートナー(社員)のものの考え方など、あらゆる福祉活動において「正しさ」にこだわり抜きます。これが私たちの企業姿勢です。
正しい企業姿勢と福祉活動こそが、すりずりの信用と信頼を築く礎です。
すりずりは、法規を遵守し、公平さを心がけるのはもちろんのこと、パートナー(社員)一人ひとりに対しても、正しい行動を求めます。
すりずりは、パートナー(社員)の卓越したサービスにふさわしい品格ある企業としてあらゆる人々から親しみと敬意をもって受け容れられるよう努めていきます。

すりずりの精神

いちゃりば ちょうでぃ
ぬ~ぬ ひだてぃぬあが
わった~ むる や~にんじゅ


加齢であろうと 障害があろうと 人種であろうと
大人であろうと 子供であろうと
個人として尊重され
家族のように
普通の生活ができる ゆいまーる
私たちは みんな 家族

経営基本方針

1.お客さまとの共存共栄  2.地域からの信頼の確保
3.事業基盤の強化     4.高・守・即

【経営基本方針の解説】

1. お客さまとの共存共栄
すりずりは、福祉事業活動を通じてお客様の満足と信頼を獲得し、併せて会社の繁栄と社員(パートナー)の幸福を追求します。
2. 地域からの信頼の確保
すりずりは、地域から信頼され続ける会社を目指します。
3. 事業基盤の強化
すりずりは、永続的な発展のため事業基盤の継続的強化に努めていきます。
4. 高・守・即
すりずりは、お客さまの求める以下の『高・守・即』を実践していきます。
     高信頼・高技術・高品質・高性能・高意欲・高知識・高効率・高効果
     守約束・守納期・守環境・守法令
     即対応・即実践・即効果
当社は、『人々の可能性と幸せの追求に挑戦し続ける』を経営理念に掲げ、かつ『企業にとっての最大の資源は人材である』との考えをもとに“人及び人間力”を根幹に据えた事業戦略を進めていきたいと思います。
また、高い“意識”と“知識”“技術”をもつ人材が充実した環境で“”に働くことが、“価値”あるサービスを生み出す近道だと考え、仕事とプライベートのバランスを大切にする“社風の構築”にも力を注いでまいります。
その結果として、“優れた人材集団”の形成と“顧客からの高い評価”を頂けるよう“全身全霊で努力”してまいります。
この考え方を基本に、今後の事業拡大を推し進めるためには、一層の“”への投資(教育・研修)と“人間力”の向上を図っていくことが必要だと思っています。

当社は、より多くのお客さま満足を得る企業となり、更なる人間力や利益の向上を図ってまいります。さらにボランティア等社会貢献を実践し、人々に愛される企業・貢献できる企業となるべく成長し、企業価値を最大限に高めていきます。

経営スローガン

どうしても 叶えたい もっとの声に


【経営スローガンの解説】

経営スローガンに込められた思い

『どうしても』に込めた思い
強い決意・願望を表す。どのようにしてでも。ぜひとも。絶対に。「どうしても成功させたい」
「どうしても負けたくない」の意味にもあるよう当社は、顧客の『どうしてもの思い』や社員の
『どうしてもの思い』に心の耳を傾け、共感することを表現しています。
『叶えたい』に込めた思い
他人の望みを実現させる。思い通りに実現する。願っていたことがその通りになる。の意味。
当社は、人々の『叶えたいの思い』に挑戦し続け、幸せになることを目指しています。
『もっとの声に』に込めた思い
心の底からの声。熱い願い。の意味。
『どうしても 叶えたい もっとの声に』を経営スローガンに掲げた理由
私たちが、この世に生まれた訳にある。
私たちは、何故この世に生まれてきたのでしょうか?
人それぞれの考え方があると思います。
私、渡久地清子の考え方はこうである。
『私は、幸せになるために生まれてきた。そして、私は、人を幸せにするために生まれてきた。
 それが私の最高の幸せだからである。』
私の考えを押し付ける物ではありません。それぞれに生まれた理由を深く考えてみてください。

お問い合わせ

施設名
小規模多機能型居宅介護事業所「すりずり」
所在地
〒901-2112 沖縄県浦添市沢岻1110番地の2
電話番号
098-963-8002
FAX番号
098-963-8003